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清き繋がり

2008.12.15

一つ下のエントリーで、屋上から綺麗に見えていた高松の池。
この時期は白鳥の飛来地としても知られ、数百羽の白鳥たちが羽を休めに来ます。
また、「高松の池」という単語に対して、「ここで国体のスケート競技やったんだよなー」と返してくる人は、筋金入りの盛岡人である!と判断できる(と勝手に思っている)、「盛岡人検定」にも使える由緒正しき場所。

この高松の池と岩大には、切っても切れない縁が存在するのでございます。
 
 
大学の正門を入ってすぐ左手に、用水路があります。

ファイル 152-1.jpg

これは、「農学部用水」といい、正門そばの石碑にその由来が刻んであります。

ファイル 152-2.jpg

曰く
明治35年、盛岡高等農林学校(現農学部)の実習・実験用水田が拓かれ、「高農水田」と言われた。当時の水源は、北上川本流。
明治40年、この潅漑水は「高松の池」を水源とする用水転換が行われた。
昭和40年、水田は大学の諸施設用地に転換された。
昭和55年、研究用水田を開田し、また、植物園内に池を造成。その水源として高農用水を復活・継承し、「農学部用水」として流れている。
とのこと。(抜粋)

つまり、今流れているこの水は、高松の池から流れてきている水なんです。
この場所から池まで、直線距離にして約700メートル。
どこをどのように流れてきて、
ここ
ファイル 152-3.jpg
からどのように流れていくか定かではありませんが、
明治時代から流れているこの水、いつまでも清い流れでいてほしいものです。
 
 
(追記)
WEB拍手から、情報提供いただきました。
経路、工事年から国体に至るまで、とても詳細な情報でしたので、そのまま掲載させていただきます。
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この高松用水は、元のユースホステルの脇を通って上田バイパスを横断し、上田小学校の46号線沿いを通って盛岡体育館の脇をテニスコート、事務局の脇を通って繋がっております。昭和52年、53年に工事を行っております。また、岩大のグランドでも国体のスケート競技が行われたそうです。参考までに。
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どうもありがとうございました。